でるもんた・いいじまです。 > どう感じられますか? > 私は「メモ」でなくてもよいです。 > でも注意喚起を意味する「注記」「注意」には反対です。 > そのうち、多くの方が (たとえ用法を間違っていても) 「注記」を支持して > いけば、そのうちそこに引きづられて、そういう定義になってしまうかも > しれません。そういうところまで、まだ行っていない、というのが私の論です。 これは英語というより、日本語の「注意」という単語の多義性が絡んでいるように思います。 日本語の「注意」にはcautionとattentionの2つの意味があります。「◯◯さんを注意した」という用例ならcautionですが、「◯◯さんの動静に注意していた」ならattentionです。 また、「注意力」という複合語になると、これは通常(書籍のタイトルとしてあえて使う場合を除いては)、「適時適切にcautionを発出する能力」ではなく「paying attentionを持続する能力」の意味になります。 もう少し違った日英比較を考えてみます。大勢の人がザワザワ話をしている中で誰かが声を張り上げて「Hey guys, Attention!」と叫んだと仮定します。周りのみんなは一斉におしゃべりをやめて、声の聞こえた方向に目を向けます。 …で、こういう反応を期待するためには、日本語では何と叫べばいいでしょうか。「はい皆さーん、『注目』!」のはずです。この文脈で「注意」は不自然です。 また、「注意」という漢字列をさらに文法的に分解すると(つまり、返り点を打って訓読してみる)「意を注ぐ」になりますが、「何に」意を注ぐのか、という情報が実は、「注意」の一言だけしか存在しない文脈においてはundefinedになっています。なのでこういう多義性が出るわけです。 ということで私としては、「注記」が必ずしもcautionを意味するとは思いません。2字目の「記」がnoteの意味を表していて、「注」はattentionのほうの意味に解釈する、とすればうまく辻褄が合うように思えます。 他の訳語として、cautionのニュアンスをもっと薄めたいのであれば「注釈(註釈)」あたりでしょうけど、これはこれでfootnoteのニュアンスが強く出てしまいます。「特記事項」も万能ではなさそうです。1文字の「註」だとどうだろう? ☆ ☆ ☆ …と書いてきましたが、この訳語の議論だけを続けていても一向に進まないので、今回のように引っかかったものは、論点や判断材料を一通り出すだけ出しておいて、でも決定とはせずに一旦保留、ということでどうでしょうか。そして最終的に、実際の翻訳作業に適用可能かどうかで判断する、と。 -- 飯嶋 浩光/でるもんた・いいじま @ PC IIJIMA Hiromitsu, aka Delmonta Email <delmo****@denno*****>